私的なブログ


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今年で、15歳になるはずだった、我が家の犬のたろう。

保健所の登録では、名前の表記は『タロー』、『7月生まれ』となっているのだけど、生後3,4ヵ月でうちにやってきたので、正確な誕生月はわからない。
もしかしたら、15歳になっていたのかもしれない。
どちらにしても、だいぶと高齢だったのは違いない。
 
たろうの命日は、5月の14日。
 
とても天気の良い、夏が前倒ししたようで、風の気持ちの良い日だった。

 

 
北白川ペット葬儀場で、火葬にしてもらい、人間と同様に骨拾いをして骨壷に納めてもらった。


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そこの骨拾いの係の人が、人間同様にどこがどこの骨かを丁寧に教えてくれる。
その係の人に
「お若い犬だったのですか?」
と尋ねられた。
「いえ、15歳になるところでした」
「え、(中略) 骨がとても立派なので、若いと思いました。15歳で、こんなに立派とは。大事に育てられましたね。健康に気を使った食事と十分な運動がなければ、こうはなりません(略)」
うちの母は、年365日ほぼ毎日、朝晩1時間半程、合計3時間程度も散歩に出かけていた。
たしかに、見てわかるほど、しっかりとした立派な骨だった。
頭の骨に触ると、その感触は間違いなく、たろうの頭を撫ぜてやった時と同じだった。
 
 
母が他界してから2年と少し。
たろうは間違いなく、『母の犬』だった。
 
うちの父が、知り合いからたろうを引き取ってきた時は、あまり気が乗らなかった。
なぜなら、我が家で犬を飼うのは3匹目で、前の2匹の最期には、別れが辛くて、もう飼わなくていい、飼いたくないと思っていたからだった。
といっても、家業を継ぐと決まった時で、実家に居座っている俺に選択の権利があるわけでもなかったのだけど。
あまり乗り気ではない俺と、もともと犬が好きでもない母を尻目に、めでたく、たろうは、『三代目たろう』を襲名したのだった。
ただ、そんな母が、たろうを溺愛するようになるには時間はかからなかった。
 
『私は犬好きと違うねん。たろうだけが特別やねん』
 
散歩仲間ができたり、散歩の最中に犬好きの通行人に声をかけられたりするようになった頃、母はそう言っていた。
父が、母を遺し先立った後、母がこの世を去るまでの4年間は、母の生活はたろうを中心に回っていた。
もともと、何処かに出かけたりは、あまりしないタイプだったので、毎日のたろうとの散歩は、もはや趣味だったに違いない。
病室で母は、
「あんたは、自分1人でもなんとかなるし、生きていけるやろ。心配なんは、たろうの事やねん」
これが、唯一の遺言だった。
 
 
たろうの火葬の後、父を散骨した場所にたろうを連れて行き、同じように散骨してやった。
父と母と たろうと3人で出掛けた場所でもある、父が散骨を希望していたその三ヶ所は、
母いわく、
「私は、こんな寒いとこ、散骨して欲しくないわ」
(季節が冬だった事もある)
と言っていたので、母の時は、連れていっただけで、散骨はしなかった。
たろうが散骨してくれと言った、というわけではないのだけど。

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散骨の後、火葬で、一緒に棺に入れられなかった分は、琵琶湖のほとりで、燃やしてやった。
母が、散歩の時に必要な物を入れるポケットがたくさんついた自作のエプロンや、ずっと使っていたリードなどは、棺に入れてやれたのだけど、ゴムの製品とかは、溶けて骨にかかるので、入れられなかった。
広い場所で遊ぶ時用の長いロープやおもちゃなど思い出の品、首輪に付けていたネームプレート、
そして、俺が履いていた室内用のスリッパの左足。

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たろうの体調が、いい間に連れてってやろう、そう決めたのは、病院で先生に『余命』を聴くことができたからだった。
わかってはいてもなかなか聴くことができなかった。
でも、その日は覚悟を決める事ができた。
 
「あの、あとどれくらい生きられますか?」
 
先生の話は、具体的な事例や今後の状態の変化などを親身になって教えてくれた。
それを聞いて、散歩も満足に歩けなくなってしまった たろうを父と母のとの思い出の場所に連れてってやらないと、と思った。
 
希望が丘は、3人で来ていたらしい。
俺も子供の頃に連れて来てもらった事がある。
その日は天気が良くて、木陰で寝そべっているだけで気持ちよかった。
風が吹けば涼しくて、芝生の上に寝っ転がってるたろうは、目を細めて、リラックスしていた。

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前日あたりから、自分で立ち上がるのも難しくなっていたので、寝たきりの生活が始まるのだなぁと思っていた。
先生の話では、寝たきりになって、体重が半分くらいにまで衰弱すると言っていた。
まだ半分までいってもないけど、だいぶ弱っているので、車に乗せて長距離の移動は、今日が最後だろうなと思った。
1時間ほどだけど、ゆっくりくつろいでいた。
 
帰りの車で、不意にたろうが、首を上げてこちらを見た。
首を持ちあげられるうちは、まだ体力があるという事だと先生が言っていた。
何度か首を持ちあげてこちらを見る。
何か言いたげな顔をしている。
でも、まだ首を持ちあげて、何かアピールできるのなら、まだ少し、あと少しは大丈夫なんだろうなと、思った。
 
 
家に帰ると少し疲れたようで、ベッドに寝かすとスヤスヤとすぐに寝てしまった。
その様子を見て、先生の話と自分なりの感覚で、「あと2週間くらいかなぁ」と考えた。
前日の少ししんどそうな寝姿ではなく、楽に寝れてるようだった。
その日は用事があったので、そのまま出掛けた。
 
家に帰ってくると廊下の電気をつけずに出てしまったことに気付いた。
たろうが、おしっこシートを見失わないように廊下の電気はつけっぱなしにしていたのだけど。
ドアを開けると、スリッパが片方ない。
電気をつけ忘れてたので、真っ暗で、もう片方がどこにあるのかわからない。
スイッチの方に行くと、たろうが、出かける前に寝ていたベッド方ではなく、スイッチのある壁の下で横になっている。
寝たきりになったのはなったのだけど、ほんとに動きたい時は、まだ自力で立ち上がっていたので、ここまでの1mほどを動ける元気がまだあるんだな、と思いながら、照明のスイッチをつけた。
 
大人になってから、あんなに大きな叫び声を上げたのは初めてだったと思う。
父や母の最期の時も病院だったのあるし、覚悟もできていたから、そんなに取り乱したりはしなかった。
照明がついて、一秒もしない間に直感でわかった。
目の前の人や動物が、寝ているのか倒れているのか、死んでいるのかを人は、直感で判断できる。文明の中で失われた本能の中でも、その部分は、ほとんどの人が失っていない。
 
抱き抱えると身体は、まだ温かい。
呼びかけても返事は、もうしない。
我に返って、呼吸音と鼓動を確かめてみたけど、
それがない事は、もうわかっていた。
 
たろうの頭の下を見ると、俺のもう片方のスリッパがあった。
スリッパを枕にしていた。
 
 
次の日の朝、ペット専門の葬儀屋に連絡するとすぐに迎えの段取りをしてくれた。
迎えにくるまでにこちらの準備と一緒に棺に入れるもの等を揃えて待っていた。
たろうは、安らかな顔をしていた。
前の晩、目をあいたままだったけど、せめて目は閉じさせてやりたかったので、固くなるまでに瞼を撫ぜてやった。
 
寝たきりになる、という事は、仕事に出ている間に何かあるかもしれない。
死に目に会えないのは、嫌だった。
誰もいない家に寂しく残さないように誰かに来てもらおうか、仕事を一ヶ月ほど休む方法はないか...そんな事が気がかりだった。
まだあと2週間くらい、そんな事を覚悟しながら生活するつもりだった。
なのに最期を一緒にいてやれなかった。
こんなに急に別れがやってくるなんて思わなかった。
 
後悔に押しつぶされる、そうなるところだった。
 
本当のところはわからない。
だけど、入口に揃えて出ていったスリッパをたろうが、自分の頭の下に敷いていた理由がある。
自分で立ち上がるのが精一杯だったたろうが、口にくわえたか、頭か足でスリッパをあの位置まで動かさなければ、偶然では、あんなところにまでスリッパは、動かない。
それもピッタリ枕の様になんて、偶然ではあり得ない。
 
うちの初代たろうは、普段は行けない、床下の奥まで入り込んで、そこを最期の場所にした。
うちの父も母も医者の言う余命より、格段に早く逝ってしまった。
うちの家族は、残された者の為にひっそりといなくなる事を選ぶみたいだ。
 
たろうも最期は、苦しまなかったのかと想像する。
なんで目を開けたままだったのか。
でも、苦しんでいたような顔ではなかった。
最期に寝ていた場所に寝転んでみると、照明がついて、顔を覗き込んで、名前を叫んでいる、俺の顔が見えた。
本当のところはわからない。
最期に目を開けて待っていてくれたのかもしれない。
俺が瞼を閉じさせてくれるまで、待っていたのかもしれない。
ひっそりと人知れない場所を探そうとして、俺のスリッパを持っていったのかもしれない。
本当のところはわからない。
そういう、メッセージだったのかもしれない。
救われた。
 
たろうは、間違いなく、うちの子で、俺とたろうは、間違いなく、父と母の子なんだと思った。
 
 
このブログを書き終わったら、心に一段落つくと思う。
自分勝手な妄想が、ちゃんと